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作曲家について『ローベルト・ア レクサンダー・シューマン』

1810年6月8日 ザクセン王国(現在のドイツ東部)のツヴィッカウに、出版業者のアウグスト・シューマン、ヨハンナ夫妻の5人の子ども(4男1女)の末っ子として生まれる。

1826年 精神を病んでいた姉エミリーの自殺。父も亡くなる。

1828年 ライプチヒ大学法学部に入学。ライプチヒのガルス家で催された音楽パーティーでフリードリッヒ・ヴィークとその娘クララ(9歳)と出会う。

1830年 フランクフルトへ大ヴァイオリニスト・パガニーニの演奏を聴きに行き、これがきっかけで音楽への道を母に相談する。ヴィークのもとで音楽に取り組むことになりライプチヒに行くが、やがてヴィークと仲たがいする。

1832年 シューマンの右手が不自由になり、ピアニストへの道をあきらめる。
《アルブムブレッター(音楽帳)》作品12を作曲(~1845年)

1834年 音楽批評誌「音楽新報」創刊。
《謝肉祭》作品9(全21曲)を作曲(~1835年)

1835年 シューマンとクララは互いに愛情を打ち明けるが、クララの父ヴィークから猛反対される。

1836年 シューマンの母亡くなる。

1838年 ピアノ曲《子供の情景》作品15、歌曲集《リーダースクライス》作品24、作品39、《詩人の恋》《ミルテの花》《女の愛と生涯》を作曲。

1840年 9月12日、クララ・ヴィークと結婚。イエーナ大学から哲学博士の学位を贈られる。

1841年 長女マリー誕生。交響曲が多数作曲され、交響曲の年と呼ばれる。
交響曲第1番《春》作品38完成。

1842年 ピアノ五重奏曲とピアノ四重奏を作曲。

1843年 メンデルスゾーンの設立したライツィヒ音楽院でピアノと作曲の教授となる。

1844年 クララとロシア演奏旅行。恐怖症、幻聴に悩まされ、ドレスデンへ移住。

1845年 ピアノ協奏曲イ短調 作品54を作曲。

1846年 交響曲第2番ハ長調 作品61を作曲。

1847年 親友メンデルスゾーンの死。

1848年 《子供のためのアルバム》作品68、《森の情景》を作曲(~1849年)

1849年 ドレスデンで暴動が起こり、満足のいく音楽活動ができなくなる。
《こどものための12の4手用曲集》作品85作曲。

1850年 友人ヒラーより招かれ、デュッセルドルフ市の音楽監督になる。

1851年 神経の発作に悩まされる。

1853年 オーケストラの理事会と対立、不眠と疲労により任務を退く。ブラームスとの出会い。後にシューマンの最も忠実な弟子となり、シューマンが亡くなった後もクララの心の支えとなる。
《こどものための3つのピアノ・ソナタ》作品118、《こどもの舞踏会》作品130作曲。

1854年 ライン川へ身を投げる。ボン近くのエンデニッヒの精神病院へ入院する。

1856年7月29日、シューマン永眠。
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みずえ先生

Author:みずえ先生
ピアノ講師のみずえです♪
1971年5月30日生まれ
ふたご座のB型です☆

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