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クロード・A・ドビュッシー年表

1862年 8月22日
貧しい家庭の5人兄弟の長男として、フランス・パリ近郊のサンジェルマン・アン・レイに生まれるが、ほどなくして港町カンヌに住む伯母クレマンティーヌに預けられる。

1871年 
モーラ・ド・フルールヴィル夫人にピアノのレッスンを受け始める。

1872年 
コンセルヴァトワール(パリ音楽院)に入学。12年間パリ音楽院に在籍。ピアノをアントワーヌ・マルモンテル、ソルフェージュをアルベール・ラヴィニャック、和声学をデュラン、作曲法をエルネスト・ギローに師事。当初は、ピアノの才能を発揮して多くの賞を獲得したが、次第にピアノ演奏に興味をなくし、作曲に熱中するようになる。

1879年
音楽院でのかつてのピアノの師アントワーヌ・マルモンテルの紹介で、ワーグナーの熱狂的な信奉者である富豪マルグリット・ウィルソン=ペルーズ夫人のお抱えピアニストとして雇われる。

1880年 
「実用和声」で1等賞を獲得し、念願の作曲科への進級を果たす。

1882年 
ローマ大賞コンクールに応募したが、入賞できなかった。

1884年 
ローマ大賞コンクールに再度挑戦し、カンタータ≪放蕩息子≫でローマ大賞を受賞。

1885年 
ローマも名門ヴィラ・メディチに留学。

1886年 
ピアノ連弾のための≪小組曲≫作曲。

1887年 
ローマは、「大理石とノミと退屈の町」だと決めつけて、2年でローマ滞在を切り上げ、再びパリに戻る。

1888年 
≪2つのアラベスク≫作曲。

1889年 
≪小組曲≫完成。ドビュッシー自身を一方の奏者として、≪小組曲≫初演。パリ万国博覧会で東洋芸術に接触。

1890年 
「夢」「ロマンティックなワルツ」≪ベルガマスク組曲≫作曲。

1899年 
純情な縫い子のロザリー・テクシエと最初の結婚。

1903年 
≪版画≫完成。この作品によって、印象主義音楽のピアノ曲の書法を確立した。

1904年 
ユダヤ人の美しい女相続人エンマ・バルダック夫人と知り合う。≪映像≫第1集、「喜びの島」作曲。

1905年 
エンマ・バルダックと同棲。長女クロード=エンマ(シュウシュウ)誕生。

1906年 
娘のクロード・エンマのために≪子供の領分≫作曲。

1907年 
≪映像≫第2集作曲。

1908年 
エンマ・バルダックと再婚。

1909年 
≪前奏曲≫第1巻作曲。

1910年 
≪前奏曲≫第2巻作曲。

1914年 
大腸がんを発病。第1次世界大戦が勃発。貴重な収入源だった演奏旅行が打ち切りになる。

1915年 
出血と痛みに苦しみながらも作曲を続ける。手術を受けて小康を得る。

1918年 
ドイツ軍の最後の大砲撃が続く中、パリで息を引き取る。享年55歳。

1919年 
ジフテリアにより、長女クロード=エンマ(シュウシュウ)死去。享年14歳。
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プロフィール

みずえ先生

Author:みずえ先生
ピアノ講師のみずえです♪
1971年5月30日生まれ
ふたご座のB型です☆

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